[11] まったくの余談なんですが 投稿者:うりまる 投稿日:2001/11/08(Thu) 12:29:43
下のボッシュの絵を見ていて思い出したのが、浦沢直樹の「モンスター」(漫画)に出てくる、「クラウス・ポッペ」という画家の絵本。

長くなるので話は割愛しますが、旧東ドイツ時代の孤児院で行われた子どもたちへの洗脳教育の際に使われた絵本の作者、という設定なんですが、「なまえのないかいぶつ」というシュールな絵本が漫画の中に登場していて、その絵になんとなく似てます>ボッシュ

ttp://toban-dental.com/toban/coffeebreak/happa/file17.htm
こんな絵です(このページ、明らかに著作権侵害してるがいいんだろうか〜(^^;;)

それ、読んでます 投稿者:かつら - 2001/11/09(Fri) 03:14:14
「モンスター」かなり面白いですよね
スピリッツの「20世紀少年」と合わせて読んでます。
「モンスター」の方は、後少しで終わるらしい。
どんな終わり方なんだろ?
Re: まったくの余談なんですが 投稿者:うりまる - 2001/11/10(Sat) 00:13:02
「モンスター」は、これほどのビッグヒットになるとは思わずに1巻から読んでました。先が読めない! 
あと1巻で完結するそうなので、楽しみですね〜。(もう本誌では終わったんですかね??)

浦沢さんは特にファンというわけではないので、「20世紀少年」のほうは未読です。面白いですか? 今度まとめて買おうかな〜。



[12] ぴあ(関東版) 投稿者:睦月 投稿日:2001/11/12(Mon) 23:42:28
本日発売のぴあに紹介が載ってます。
ルビコンゲートにもあった写真が一葉。紹介のコメントは「心して観よ」

まだの皆様は、心してお待ちくださいませ(^^)



[13] 東京初日おめでとうございます。 投稿者:うりまる 投稿日:2001/11/16(Fri) 10:08:11
いよいよ東京初日ですねー。天気良好!
18日まで拝見できませんが、ごらんになったかたの感想(驚き?)を楽しみにしてます。





Re: 東京初日おめでとうございます。 投稿者:froufrou - 2001/11/16(Fri) 23:34:06
やっと拝見できました〜(泣)
なんか、大江健三郎の小説(「万延元年のフットボール」や「燃え上がる緑の木」あたりの、作者の生まれ故郷の愛媛の山村を舞台にしたシリーズ)みたいだなあって思いました。兄弟の確執とか、村の伝承とか、強訴伝説が昂じて新興宗教じみてくるとこ、民衆が生餐を求め始めるとことか・・
桂さんの役に関しては、ああまで次々と女たちがなびいていく設定だとふつうは、なんであいつばかりが、というかんじになると思うのですが、そういう疑念をまるで感じさせないあたりがさすがだと思いました。ああいう引き込まれかたをしては、たいていの女は歩を前に進めざるを得ないと思う・・向こうから誘ってきた、なんて台詞もありましたが、どんな状況だったのかが目に浮かぶようで・・。足の親指のエピソードも、なんだかものすごくエロティックですよね。
Re: 東京初日おめでとうございます。 投稿者:睦月 - 2001/11/17(Sat) 13:24:41
「万延元年のフットボール」…なるほど。あたしは最初みたとき、昔の半村良だと思いました(^^;;>その時点でストーリーを追うことより、幻視する力に委ねちゃおうと思いました。

円形は小さい小屋だとか、自分が座った位置が舞台上の高さと同じだったせいなのか、同じ座敷の奥から眺めている気分で、どろどろ感が増したような(^^;;;

Re: 東京初日おめでとうございます。 投稿者:froufrou - 2001/11/18(Sun) 00:39:53
どろどろ感・・(^^;;そういえば、万延元年の〜」を読んでも感じたことなのですが、その土地の伝承や信仰が書き手の中に確かにリアルに存在していると思われるのにそれをうまく共有できないもどかしさ、みたいな(幻視力フル稼働(?)で臨まねばならないところなのでしょうけども、なかなか力及ばないものが・・)どこかの土地の聞き書きでその土地の古老が、この間の戦争では・・と語り出すので太平洋戦争のことかと思ったら戌辰戦争のことだった、なんてエピソードを読んだことがあるのですが、日本で内戦が起こっている状態、というのがついこの間のこととして記憶に刻まれている土地柄では受け止められかたも変わるのでしょうね。(これはミュージカル「キレイ」の時にも感じたことなのですが、九州で内戦が起きているという設定、作者が九州出身ということを考えると・・)そういう意味でも、長崎公演の反応は、とっても気になります。キリシタン信仰の受難の歴史とのかかわりも・・
土地の記憶 投稿者:睦月 - 2001/11/18(Sun) 13:14:03
京都だとこの前の戦争が「応仁の乱」だったりするそうでですが(^^;
沖縄・広島というのはいろいろ語られていますが、長崎というのはそういう意味ではあまり語られていない土地かもしれませんね。

田舎の密な人間関係というのはちょっとだけ経験があって、キヨ子さんが食べかけのおにぎりほらっと手渡して相手も食べちゃうところとか、せっせとおにぎり作ってるとことかで、自分がそこにいたときの居心地の悪さみたいなのも思い出しました(^^;;
Re: 土地の記憶 投稿者:froufrou - 2001/11/19(Mon) 02:05:36
京都って特に、戦火に次ぐ戦火の歴史ですものね・・(東京に住んでると、すべては空襲と震災の記憶のかなたにかすんでしまっている感覚がありますが・・)
それと、九州って、山ひとつ越えるとぜんぜん方言が変わったりするみたいで、もし戦争となったらそれは、言葉の違いがそのまま敵味方を意味してしまうという、これも、「キレイ」の時に思ったことですが、コテコテの博多弁が俺をナーバスにした、なんていう面白すぎる台詞の意味するところに気づくのにだいぶ時間がかかってしまって・・、この程度の想像力も東京に住んでいると失われてしまうことなのですね・・

Re: 土地の記憶 投稿者:froufrou - 2001/11/19(Mon) 23:07:02
土地ネタでもうひとつ(しつこいようですが)(^^;;、以前、ゴロゴロしているお稽古場、とのことを日記で拝見した時、九州で生まれ育ったあるミュージシャンのこんな述懐を思い出していました。「いやあ、俺ってゴロゴロしてるよ。だからやっぱ、南にいたんだなって気がする。日常のことは女の人にやってもらって自分たちはよほどのことがない限り出てこないっていう」・・なもので、もしかして、九州とか南の方のご出身の役者さんが多いお稽古場なのでしょうか、と思っていたのですが、舞台が九州だったという(笑)男たち、ハルが変わる、と生き生きしていましたが、ああいう状況でなかったらやっぱり、うだうだと日を過ごしちゃうタイプなんじゃないかなって気がします(雲母坂の次男宅での兄弟たちの、畳の上でダラダラ感のような様子からも)そして女たちは平時も戦時もひたすら食事をつくり洗濯や縫い物に精を出し、築かれる握り飯の山や繕われた靴下の山は・・



[14] 心して観よ。 投稿者:くりすぴぃーぬ 投稿日:2001/11/18(Sun) 02:36:18
ふむ。心して観ました。
むむ〜〜〜。私には、かなり難しい作品でありました。
そして、ぼんやり浮かんだのが「舞台っていうよりも映画向きの作品ではなかろうか?」という印象です。
このハルという土地は、松田さんご自身も指摘してらっしゃるように、その自然の美しさがポイントとなるのではないでしょうか?そういった面から考えると、舞台から、そのハルという土地の臭いがしてこなかった気がします。
そういった面で、この作品は映画にした方が・・・と思うのですが如何でしょう?
しかし、観劇は花組を知るまで、ミュージカル中心だった私にとりましては、ホント「心して観よ」って感じでした^^;;
一幕は、好きです。長崎で生まれて東京で育ってはおりますが、両親が鹿児島出身である私にとって、(おまけに親戚は波留という土地に住んでます)なにやら、妙に親近感を覚える会話とかもあったりして…
しかし、二幕は、はっきり言って、ついていけなかった(T_T)
わからない。難しい。もう一回観たらわかるのかな?でももう時間ないし…
皆様の感想をもっとお聞きしたいです。

桂さんは〜!これはお世辞でもなんでもなく、すごく素敵でした。
自分だけは、何かが違うんじゃないかと思いつつも、土地に戻って兄弟と共に歩いていこうと自分に言い聞かせる、彼の心の葛藤が痛いほど伝わってきました。でも、靴下を縫ってくれた直子と生きていこうとする彼の気持ち。彼の「孤独、繊細さ」が切なかったです。
froufrouさんも似たようなニュアンスで書いてらっしゃいますが女性なら誰でも、明にはついて行っちゃうんだろうな〜と劇場中の人は思ったに違いない。流石です。

11月一杯、頑張ってくださいませ>桂さん



Re: 心して観よ。 投稿者:nazca - 2001/11/18(Sun) 03:20:17
私には、ハルに行ってからの出来事は全て信次さんの夢、妄想なのかも、という風にも見えました。
ラスト、ふいっと「にいさん、いい加減落ち着いた?」とかなんとか言いながら明さんが出てくるのではないかとちょっと思ったりしました。そう思って観て全てのつじつまが合う訳ではないのですけれど。

思い描いてしまったことを自分で打ち消そうとしてあがいているような気がしました。だからあのハルでは信次さんだけがひどく常識的なことを言っているのかも知れない。
そう思って見ていると、ハルでの明さんは信次さんの明さんへの愛憎が入り混じって表現されているのかなぁ、なんていう風にも思えました。
Re: 心して観よ。 投稿者:睦月 - 2001/11/18(Sun) 13:26:54
あたしはなぜか、二幕は舞台上に描かれていない場面が絵みたいになって浮かぶことが多かったです。あんまり理屈で受けとめてないみたいで(^^;;

タケシを助けるために岸に辿りついて飛礫を受けるユウコとか、繕ってもらった靴下を手にしたとき明はどんな顔してたんだろうとか、最後、人波を割って靴下の冠の明を連れた隊列、とそれをよろよろと追う太一郎…

そういえば、破れてしまう靴下と水が漏れてしまうお腹、女性を求めたら手に入る明と渇望しても拒絶される太一郎は、裏表の存在だったりするんでしょうか(^^;;
Re: 心して観よ。 投稿者:froufrou - 2001/11/19(Mon) 02:14:20
ボッシュの絵のこと、興味が涌いて調べてみたのですが、「聖アントニウスの誘惑」の絵については、自身の幻覚と闘う聖人の姿、と見る説が有力なようですね。(と、澁澤龍彦の本に・・、タイトル忘れましたが)(^^;;
兄弟たちが紡ぐ共同幻想みたいなものかな、ということはちょっと思いました。(3人の目からみたハルの風景、みたいな)明と兄嫁のこと、あれは、次男が「見たかったこと」なのかもしれない、とも。自分の妻はどんな思いでいたのか、ということをあの二人を通して探ろうとしていたのかもしれません。

「カッコーの巣〜」の時もちょっと思ったのですが、脚本が神話的な拡がりを要求しているかのようなこういう作品って、劇化が難しいんですよね・・(意外にこういうのに向いているのはマンガだったりします)

ユウコが倒れるところは、私も見えたように思います(見えなくて苦しんだのは、外にいるはずの島の群衆やアメリカ軍かな・・)たどり着けずに岸に倒れる様子、そのまま宗教画のようなイメージで浮かんでくるようです・・



[15] もう一度見たいけど・・ 投稿者:のりお 投稿日:2001/11/18(Sun) 23:08:04
今日雲母坂みました。確かに、長い芝居ではありましたが、セリフの言葉は易しく、伝わりやすいものだったので、集中して見続けることが出来ました。ただ、芝居のテーマそのもの、というと・・。
桂さんも何度か書いていらっしゃいましたが「理由付け」みたいなことを考え出してしまうと混乱しますね。ん?いつのまにこうなっていたんだ??って思うことが何度かあって、その理由を考えているあいだに話が進んでしまっているというか・・・。「こういう理由(背景)があってこうなっている」というよりは、もう「こうである」という世界がまずあって、それを受け入れて、その上でその世界に入っていかないと分かり易いはずのセリフも分からなくなっていくような。
桂さんの役は、ある意味、見る側のそういった混乱を体現している役と言えるような気が、私はしました。兄弟の間でゆれる、弱者として強者に揺さぶられる、身近にあるささかやな愛情にゆれる、そして弱者の集団の中でさらにはじき出される。見ていてつらいんだけど、一番身につまされる人物像だったような気がします。
それにしても、この芝居を作っていくうえで、作品と対峙した役者さんたちは、すごい力が要ったろうなー、と思いました。それだけの力のある役者さんたちだからこそ、この完成度になったんでしょうね。桂さんて、ほんっとに、いろんな芝居が出来るというか、いろんな芝居にハマれる人ですよね。それだけ演技が上手いってことなんですね。いまさらですが。
もう一度見たいけど、もう終わりなんですよね。公演期間、短いですよ・・・。トホホ。長崎まではいけないし。
あと2ステージ、見る人も演る人もがんばってくださいませ。
初めてお邪魔したのにながなが書いてすみません。なんかいろんなこと考えてしまったもので。

おいでませ>のりお さん 投稿者:睦月 - 2001/11/19(Mon) 01:02:41
公演期間短いですよね、ほんと。佐世保や長崎といった土地の記憶のある場所での上演はまた違った空気が劇場に満ちるんでしょうね。

あたしもゆっくりと毒がまわるように、いろいろな思いが浮かびます。それをコトバにしてみると自分の感じたことがカタチになって心に残るように思います。



[16] 見てきました。 投稿者:うりまる 投稿日:2001/11/19(Mon) 00:26:19
面白かったです。体調を万全にしないとちょっときつい芝居ですね。なんかいっぱい消化しないといけない感じ。
(一幕終わって思わずでっかい声で「なげえ〜!」って言っちゃった(^^;; 終演後は左の脇腹がしくしく痛かったです)

うーん、理屈で言うとどうしようもできないし、物語を見ようとするとちょっと違う。

見終わって一番思ったのは、夏に歴史民俗博物館で見た、仏教の死生観を描いた絵のことでした。曼陀羅とか。
輪廻、因果応報が一枚の絵になっていて、受難と苦行と衆生救済が全部描かれている世界。そういう印象でした。
キリスト教の話なんだけど、どこかそういう仏教のにおいが残っているようにも思いました。

誰かに特別に感情移入する見方ではなかったですね。オリザさんと松田さんに、絵本を1ページずつ開いて見せてもらって、ただただそれを受け入れて呑み込んでる、そんな3時間でした。げっぷ。

ん〜あれを新次の妄想として見るのはとっても面白い見方だと思うんですが、あれ全部現実のこととして受け入れても面白いと思う。ほんとのこととして。
新次は夕子と光一郎の子ども(救世主だろうか)が生まれるのを何年でも何十年でも何億年でもひとりきり、待ち続けるんです。そう思っても、ぞっとするものがあります。

で、明ですが。
「鳶らしくくるくる高いところを飛んで獲物をかっさらうんだ」という言葉、場面を通して何か芯の通った行動をしないこと、自分というものに自信がなくて中心が空洞な男の人なのかなあ、というように見えました。そういう寂しさが身体の真ん中にある人。だから女はみんなほっとけないのかもしれない。

最後の最後、茨の冠ならぬ、靴下の冠をかぶったあと、ずうっと、明が真剣な無表情でいるのを見て、「ああ、覚悟を決めたんだなあ」とちょっと泣けました。
あれが自分の仕事だと悟ったような目でした。
(おそらく、明はどこへいってもどの時代でもあの運命なのかもしれないですね…)

上手はしっこで今日は見てましたが、正面を向いてるときはいいとして、斜めだったり背中を向けられると声がこっちに来ない役者さんが結構多かったのが気になりました。
それでいいのかもしれないんですが、でも、逆にあれだけディテールにこだわった脚本なので、粒だって聞こえてきて欲しいように思います。わざと聞こえないようにしてる演出のとき以外は。

あと、Fブロックはさすがに気の毒でしたね(^^;;
ほとんど舞台が見えないこと、事前に説明してあるのかなあ?
私の座っていたGブロック23番でも、階段で奥はほとんど見えてませんでした。むう。


隠れキリシタン信仰 投稿者:睦月 - 2001/11/19(Mon) 01:26:42
隠れキリシタンの信仰は地下に潜って信仰をまもり続けてきたために、キリスト教と日本にある信仰と入り混じってしまって、キリスト教(カソリック)とは別モノになっているそうなので、仏教的な要素もかなりはいっているんでしょうね。最後の「何千年何億年かかるかもしれません」というセリフに「56億年後に救済してくれる弥勒」を思い浮かべました。

隠れキリシタンで検索してみました。
>隠れキリシタン    
http://www2s.biglobe.ne.jp/~katoppo/kaisetu/kirisitan.html
>サンデー毎日連載「人間ドキュメント」隠れキリシタン450年目の憂鬱 
http://www3.justnet.ne.jp/~sato-sakura/kakure.html

》靴下の冠をかぶったあとの明
あたしは、逃げられないのならば靴下を繕ってやり直そうとした自分として最後を生きてやる、というふうに見えて好きでした。
Re: 見てきました。 投稿者:おくむら - 2001/11/19(Mon) 11:30:51
> そういう寂しさが身体の真ん中にある人。
> だから女はみんなほっとけないのかもしれない。

なるほど。勉強になります。参考にしますφ(。_。;) <をひをひ

で、見切れのある席のことですが、そこにいた知人は、やっぱり
かなり見づらくて、ご不満のようでした。
こういうことでこの作品が評判を落とすのは、たいへん勿体ない
ことのように思います。
残りの佐世保・長崎ではどうしようもないですが、再演のときには
(すでに再演されるのが前提で話してますが)、かみて側が
奥まってる舞台設計にするとかなんとか、見やすくする工夫が
必要だろうとは思います。



[17] デビルマン 投稿者:うりまる 投稿日:2001/11/19(Mon) 00:31:33
そうそう、明を見ていて思い出したのがもうひとつ。デビルマンでした。
不動明(あらっ、この名前って不動明王からなのか!)も、人間界で「たった一人の人間を守る悪魔」として、どっちにもつけない自分、空洞の自分、矛盾と孤独を抱え込んでいました。
いや〜大好きだったんですよね〜>デビルマン

無理矢理すぎ? でもなんか、似てると思った。
明という名前自体、「日」と「月」という相反する明るさを持つものの組み合わせでできています。

光一郎と光介が、絶対的な「光」を持つ名前、新次だけが光に縁のない名前(しかし、「新しい」「次」の時代を意味する名前)…と読むのはうがちすぎでしょうか。にゃはは。

Re: デビルマン 投稿者:睦月 - 2001/11/19(Mon) 01:07:31
えっと、確認したら「信次」でした>「次ぎを信じる」だったりして(^^;;;
おっと 投稿者:うりまる - 2001/11/19(Mon) 09:11:09
ほんとだ(笑)
失礼しました。

でもそうかも>次を信じる
そこに松田さんの想いがあるんでしょうか? ないか。



[18] とりとめもなく。 投稿者:ぎょろ 投稿日:2001/11/19(Mon) 16:04:19
東京公演土曜日ソワレと日曜日マチネで観てきました。

うーんと、端的に正直に感想を口に出すとすると、恥ずかしながら「・・・よくわかんなかったです・・・」っていうのが一番強いかもしれない・・・。なにがどうわかってないのかも、よくわからない。
桂さん家の伝言板にも書いちゃいましたけど、あと2回くらい観たら、なにか自分の中で着地できそうな気もするんですけど・・・。舞台から自分なりに受け取ったものが、形もわからず置かれる場所のないまま宙ぶらりんになってるような感じです。「宙ぶらりんなら宙ぶらりんのまま、そういうものとして吊るしておいてもいいか」なんてふうにも思ってます(笑)。

これは作り手さんに対して大変申し訳無い感があるんですが、自分の集中力を上演時間全てにわたって舞台に沿わせ続けることができませんでした。あの「ハル」の世界の、重量感に耐え切れなかったのか、時間に追い付いて行けなかったのか・・・。
途中何度も自分の思考が止まったり、外へ流れてしまったりして、拾いきれなかったセリフがいくつもあります。あの世界は、セリフひとつを聞き落としたら、そのセリフ分の何かが決定的に欠けてしまうような印象を持ちました。

単純にセリフの字面だけを追い掛けたら、「見せようによってはドッと笑いが起こる」ような箇所もいくつもあった気がして、なのにあの空間では堂々と笑う気になれなくて、そういうギャップというか違和感というかが、奇妙な感覚でした。

『われらヒーロー』は、「こういう舞台も結構自分の肌に合うのかな」ってそれなりに自覚したんですけど、『雲母坂』はどうなのか自分でわかりません。自分がどういうスタンスで見れば一番しっくりくるのか、それを探っているうちに観劇回数消化しちゃったような^^;。

登場人物みんな、人間の常識がどっか外れているような感覚が強くて、その外れたところで行われる部分は、「なんでそうできるの?そうなっちゃうの?」って疑問に思うばっかりでした。でも、そうなってしまう要素は誰の心にも潜んでいるような気がして、そういう点では恐ろしさも感じました。
全体を通じて一番“まとも”に見えたのは次男の「信次」でしたけど、次に“まとも”に見えたのは、「直子」と「明」でした。

反面、ぶっちぎりで人物像が把握できなかったのが「明」でした。明という人間がどんな【意志】でもってそういう言動に出ているのか、掴めなかった。私にとって、一番謎な人物でした。

日曜日は、座席位置の運にも恵まれて、靴下の冠を被ったときに見せる明の笑顔とその笑顔が消えた後に現れる表情との落差が正面からバッチリ見えて、ドカーンと胸に響きました。
「あぁこの人は自分が殺されることを受け入れてしまったんだ」と思って、それが妙に悲しかった。このまま明の顔観てたら泣いちゃうな、と思って、そんな自分に迷いつつもこのまま見詰めていようかと覚悟したら、前の席のおじさんが動いて頭が明にすっかり被って見えなくなってしまったのでした・・・(しくしく・笑)。

間接キーッス 投稿者:睦月 - 2001/11/20(Tue) 01:46:31
笑いは伊丹ではほとんど起こらなかったんですよ、少なくともあたしが観た回は。>だから「間接キーッス」でちょっと和んだ(^^)。

円形劇場はあの空間そのものが閉じた世界で(座った位置がちょうど舞台と同じくらいの位置だったせいもあるのか)あの縁側の奥にある座敷から全てを眺めているような感じがしてました。>って、あたしは草間のおっかさまか、と自分で突っ込んでみる(^^;;

あたしは自分の現実と地続きなような…でもグロテスクな世界でもあって、観終わると背中がど〜んと異様に重かったです(^^;;



[19] 余談 投稿者:うりまる 投稿日:2001/11/20(Tue) 02:03:06
余談が好きな私ですが(笑)

今日、平成中村座行って、千本桜の「知盛編」を見てきたんですが、どうしても「雲母坂」とだぶってしかたがなかったです(^^;; いや〜影響大きいです>雲母坂

千本桜も「闘いに破れるもの」の物語だったりするので、そのせいでしょうか。特に知盛が、安徳帝の言葉にすべてを義経にゆだねる決意をして、碇をかついで入水する姿が、どうしてもハルの人たちに重なってしまって…。

「盛者必衰の理あり」であり、「因果応報」の世界ですが、ハルの人たちも、もはや輪廻の輪から抜け出せなくなってるようで、それがひたすらに哀しいよな〜なんて思っておりました。
(そしてそれは人間そのものがどうしても抜け出せない輪でもあるんですが)

すいません、ほんとに余談でした(^^;;

Re: 知盛 投稿者:froufrou - 2001/11/20(Tue) 23:03:03
あ、そういえば似てますね。どうしてこんなことに・・というやるせない思いが残る点も含めて。
歌舞伎をみてると、こんなに大勢いるんだから誰か止めてあげて〜(泣)という気分になることがよくあるのですが、やめろよ・・、とかいいながら信次が現れる幻覚を今後はみることになるのかもしれません。
金替さんって、あの、ちょっと浮世離れしたような独特の浮遊感が時に聖者のように見えることがあって、今回は予想してたほどにはその感じは立ち上がって来なかった気がするのですが、そいでも、男性陣の中でもひときわ弱そう(←すいません)(^^;;なのに体を張っても事態を食い止めようとする様にはゾクっと来ました。そして56億年*365回分の夕焼けを見つめ続ける信次・・



[20] 今ごろになって 投稿者:のりお 投稿日:2001/11/21(Wed) 00:46:16
また書いちゃう。
ずっと考え続けてるわけではないんですけど、つらつらと思い浮かんでいたりして、今ごろになってふと思うのは、雲母坂、私にとって決して分かり良い芝居ではなかったけど、分からないことが不快でなかったなって。何でだろう。やっぱり役者さんたちがすごく良かったからかな。分からない=つまらないっていう一言では片付けられないものを感じました。っていうか、いまでも感じつつあります。返す返すも、公演期間の短さが悔やまれますね。

Re: 今ごろになって 投稿者:睦月 - 2001/11/22(Thu) 01:18:01
わからなくても、感じたことが塊になって、それを心のどこかにおいておくと、あるとき、ふっと手がかりが見つかることが、あたしはあります。評論家ぢゃないんだから、時間がかかっても自分の感じたこととお芝居とが繋がればいいなあ、と想ってます(^^;;;

Re: 今ごろになって 投稿者:かつら - 2001/11/23(Fri) 03:01:34
俺、同じような事いつも言ってるようで、恐縮なんだけど
「理解する事も芝居の面白さだけど、感じる事の面白さはそれに劣らない」
って思うんですよ。
のりおさんが何か感じて貰えたんなら、やってるこっちも、とても
嬉しいです。



1〜10 ← →21〜30


TOPへ