2001年「東京9ボール」前半

2年半以上前の書き損ねてた試合のレポートです。詳細はかなりいい加減です。ごめんちゃい

日本のポケットビリヤードのプロ組織はJPBAが唯一の団体でしたが、当時東日本の理事に就任した永田修司プロがよりプレイヤーの立場でプロ活動出来る環境を作るためにJBCという組織を設立し、その目玉トーナメントとして開催したイベントです。
賞金総額1億円という前代未聞の試合には全世界から700名を超える選手が参加し、成功裡に幕を閉じたのです。
エントリーフィーは3万円とそれなりにするのですが、確か緒戦は11セット先取りで、初戦のみ敗者戦がありました。そこからはシングルイルミネーションで13セット先取りとなります。これはこうしたトーナメントが少ないだけにトライする価値はあるなぁと、九州から乗り込みました。
試合に向けての調子は上々で、ランアウト3連荘は普通に出るようなコンディションになっていたのに、本番はやっぱり緊張しますね。。。硬くなってキューが出ないままなんとか1回戦は残ったのですが続くシングルトーナメントは殆どいいところなくあっさり敗れて終わりました。

今回のトーナメントの目玉は、今や現役を引退した(試合はたまに出てますが)マイクシーゲルが参戦しているということです。僕が玉をつき始めた頃、ストリックランド、レイズ、シーゲルがトッププレイヤーで、当時のトーナメントビデオをみてもこの3人が多いです。アーチャーはまだまだ駆け出しで、僕のもっているビデオではこの3人を追い詰めるシーンは殆どなくその完成度の高い、エンターテインメントとして試合を楽しめるだけの内容を持ってました。

シーゲルと当たれたらそりゃすごい記念になるなぁと思った事もあっての参戦でした。
結果をしてはキューメーカーとしてロビーにいたシーゲルを見つけて一緒に写真をとってもらいました。

予選はバグース各店で行われ、僕は六本木店でした。ここにはブリードラブ(ジャネットリーの旦那)などがおりました。
僕が玉突き始めた頃いってた店のスタッフで、大川君や大竹君などもここでした。わし以外はみんな残ってたみたい。。九州からは末田君が一緒だったと思います。とてもいいたまつくんですよ。

さて、4日間くらいあったこの試合も3日目と4日目は特設会場です。まぁここまで残るとは思ってなかったので最終日は九州への移動日にしていたので3日目と最終日の途中までは観戦に回ることが出来ました。

会場は池袋駅から歩いて10分くらいの特設会場で、ここはよく「ブランドものの家族セール」とかの会場になっていそうなところで、殺風景な感じはしましたが試合とかは見やすく、しかもこの日になればトッププロばかりなので見ごたえもありました。
いるわいるわ、でも、あれ?いないぞ?っていうプロの方が多いです。そう、ストリックランド、アーチャー、バーナー、シーゲルなどのアメリカ勢がばたばたと敗れております。やはりシングルだときついですね。
会場はメインテーブル(ビデオ撮影用)が1台と8台が並んであって、8台で回しながら進行の遅いところがでたら予備1台を使う完全タイム制。そこらへんも選手にはやりやすいんだろうなぁと思いました。(実際経験してないから知らないけど。。)

おなじみエフレン!

この年は調子よかったジェレミージョーンズ
ベスト32だったか64からラックはレフリーラックでサルドタイトラックをしようしていました。但し、それまでの試合は普通のラックでたてていたので、サルドラックの特徴あるラシャを張り替えて場所を決めたらそこから動かしてたててはいけないというのに、思いっきり反した行為であったため、見た目はサルドラックでしたが、サクサクっとはたってませんでした^^;
ジェレミージョーンズの相手はスーケットで、しっかりやられてました。
今9ボールは難球を入れ続けてすげぇ〜っていう競技から、ボーラードのようなゲーム性に変わった気がします。より安全にというイメージで、激しく、熱く、そして勝負というのは少なくなり、たんたんとしていました。
それゆえちょっとした事にも反応は早く、コーリーは相手の(多分台湾の選手)が練習時間にカラーボールを突いているのをすかさずクレームいれてました。まぁ、マナーとしての基本ですが、やるなぁと思ってみていました。
しかし一球一球コツコツつくのに飽きてしまい、結局ちゃんと見れなかったです。

タイトラックの申し子コーリーデュエル

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