浅草三社祭 Asakusa Sanjya Festival

東京の春の歳時記には初夏を告げる浅草の三社祭を外す訳にはいかないと言うことで 何日か出掛けた折に撮った写真を掲載することにした。昨年は東日本大震災で自粛し中止になったし、今年(2012年)は三社祭700年に当たるなどのため 例年以上の賑わいになったようだ。 3月18日に三社祭700年を記念して船渡御が行われ、本祭は5月18、19、20日の3日間に亘って行われたが、本宮の20日は翌21日が金冠日食の日にあたるため 自分は撮影機材を準備して前日から標高800メートル程の高所まで車で出掛けることになっていた。 そのため三社祭の本宮の撮影は断念したのだが、金冠日食の当日は宿泊したホテルの周りはガスがかかり10メートル先も見えないような状況であった。直ぐ東京の家で留守番をしている娘に2階に上がり太陽を見てくれと携帯で連絡すると 金冠日食がバッチリ見えると言われガックリきた、わざわざ金冠日食を見ないために出掛けたようなものだった。 今回はカメラの調子もあまり良くなかったので来年はぜひ三社祭の本宮の撮影にも行きたいと思った。 

 
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3月18日浅草寺で金龍の舞が行われるので写真クラブの仲間と浅草に出掛けたが、あいにく雨が降ってきたので雨宿りがてら食事にビールでくつろいで長居してしまった。雨も上がったようなので慌てて外に出て吾妻橋に向かうと 船渡御の一団はすでに法要が行われる駒形堂に向かっていた。駒形橋の上には雨の中どこから集まってきたのか大群衆。
隅田川のどこにこんなに屋形船などがあったのかと思う程の多くの船が集まってきたが、エリザベス女王即位60周年のテムズ川下りの船団には負けるだろう。
5月18日三社祭初日はお昼ごろ突然の雷雨で浅草寺本堂前にいた人達は蜂の巣をつついたように軒下に逃げ込んだ。天気雨のようなので雨が上がるのを待つことにする。
浅草寺境内奥山の銭塚地蔵尊のそばの雨にぬれたバラ一輪。
町内神輿も雨宿り、雨は上がるかな。
午後1時過ぎウソのように雨はすっかり上がり予定より遅れたが大行列がスタートした。 
びんざら舞の行列。 拝殿でびんざら舞を奉納する。
手古舞の踊り手さん達も行列。
芸者さん達も登場。
行列の先頭もかなり力が入っています。
今日19日は町を神輿が練り歩くので浅草の街も祭典一色。
家々にも祭りの飾りつけ。
町内会の役員さんだろうか、今日は町神輿連合渡御なので大急ぎで会所へ。
ちびっ子神輿はすでに元気に出発。
おじいちゃんの背中でワッショイワッショイ。
羨ましいー、前の担ぎ手の真剣な表情との対比が面白いです。町内神輿も出始めたようだ。
真っ白い衣装がカッコ良い下町っ子たち。
浅草の女性限定のお神輿のグループ 新門絆会の皆さん。浅草神社の境内にある新門辰五郎のお稲荷さんとして知られる被官稲荷で参拝した後鳥居の前で記念写真を撮っているところを撮らせてもらいました。さすがに皆さん極まってますね。
先日読んだ新聞によれば新門辰五郎の末裔の方が昔より代々三社祭の宮頭を勤めているそうだ。
氏子44町の神輿が浅草神社社殿前で渡御のお払いを受ける。本神輿は現在一宮、二ノ宮、三宮まであるが沢村貞子の「私の浅草」によれば当時は四ノ宮まであったそうだ。
44町の神輿なので神輿渡御を朝からやっても全て終わるのは夕方になる。
子供神輿もちゃんとお払いを受ける。
ワーイ高く上がった。
粋なお姐さんも神輿の先頭で せいや!そいや!
みんな祭りを心から楽しんでいるようです。
がんばれ子供神輿。
僕にも担がせてー
ちゃんと打てるかな、お母さんが心配そうに見守ってます。
先日NHKのBSプレミアムの新日本風土記で浅草が取り上げられていたが、浅草っ子にとって三社祭は子供の頃からの特別な行事で毎年の生活の一部になりきっているので 年々神輿の担ぎ手が少なくなるような心配をしなくてすむのだろうか。
午後三時過ぎ、まだ渡御のため神輿が浅草神社に向かう。 浅草寺裏の広場にはまだかなり渡御の順番をを待っている神輿があった。
魚眼レンズを付けて撮っていたらカメラのミラーが外れてしまった。已む無く今日はここまでとする。

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